月奇門

金剛之章

「何となく」生きている少年、黒井夜(くろい よる)。
静かな夜の空気に包まれながら、彼は少女と出会った。

序幕 : 月下、少女

第一幕 : A Day by Today...1

御影之章

ごく普通の社会人、明峰宗司(あけみね そうじ)。
一人の女性と出会ったせいで、彼の人生は一転する。
日常と引き換えに得たものは苦労、金、人生の伴侶 !?

序幕 : 人生転換期

第一幕 : 就職は如何?


当然のことだが、人生には転換期というものが存在する。

如何に平凡な人生であろうと、大なり小なりの形でそれは存在する。

 

この私、明峰宗司(あけみね そうじ)はごく平凡な種類に属する人間だった。

年齢二九歳、妻子なし。特に問題も起こさず、それなりの経歴を持って社会人と相成る。某一流企業に就職するが、最近の不景気のせいか、会社にリストラされる。

そして、私の人生の転換期はやってきた。――それもかなり凶悪なやつが。

自棄酒でも、と立ち寄った場末のバー。その一番奥の席に彼女が座っていた。

年は二四、五歳。化粧気のない顔だが、そこいらのモデルよりも整った顔立ちと体型。一見理知的な雰囲気だが、瞳には勝ち気そうな光がともっている。多少クセのある、黒くて艶のある長い髪を、紫色の紐で束ねていた。黒いレザージャケットに、白いシャツ、脚線美を強調する黒いズボンとやけに重厚なブーツ。右の耳(なぜか片側だけだ)には、造りのよいイヤリングが輝いている。

思わず声をかけそうになって、やめた。こういう女には男が付き物である。声をかけたところで一蹴されるのがオチであろう。恥をかくのは嫌だから、カウンターに座って横目で眺めることにする。

はっきり言って美しい。先ほど私は「そこいらのモデルよりも」と言ったが、とんでもない。美女と呼ばれるものたちの中でもとびきり上の部類に入るだろう。

「いらっしゃい。なんにするね?」

柔和な表情でこの店のマスター、尾崎英彦(おざき ひでひこ)が尋ねてくる。内柔外剛の老爺で、普段は悩みでもあるのかと思うほどむっつりと黙り込んでいるが、私が飲みに来たときだけはなぜか笑っている。曰く「気に入った人用の笑顔」だそうだ。

「マスター、なるべくキツいのをくれ」

「何じゃ、また上司にいじめられたのかね?」

「それならだけならどれほど楽だったものか!」

天井を仰ぐ。もっとも、電灯が見えるだけだが。

ボーナス⇒マイホーム⇒気楽な老後という夢の実現のために四苦八苦してきたこの二年間。嫌味な上司にこき使われ、はいと言う返事しかできない毎日!そして最後には上司の失敗の責任を負わされ会社は解雇。

昨日付で社員寮からも追い出され、路頭に迷ったというわけである。

「くそっ、あの忌々しいヒキガエルめ……」

上司であった男の顔が思い出される。似合わないべっ甲縁の眼鏡をかけ、いつも嫌味に頬を引きつらせていた顔だ。会社を去り際に、あの憎たらしい顔に右ストレートを叩き込んできたが、どうせならもう二、三発は殴っても良かったような気がする。

「で、何があったのかね?」

「会社をリストラされた」

「おや、まぁ……。それは災難だったね」

重い沈黙。心なしか、見慣れた老マスターの顔も引きつっている気がする。

「……仕事が見つかるまでウチで働くかね?」

「ありがたい申し出だけど、断わらせてもらうよ。おそらく、ここで私のできることはあなたに迷惑をかけることだけだ」

おそらくというよりも、ほぼ確実だ。

私はため息をつくと、胸ポケットから煙草を取り出した。銘柄は『Luck』――今の私に“とても”必要な、幸運という名である。

紫煙をくゆらせていると、

「隣に座ってもいいかしら?」

声をかけられた。

 私は当初、自分が話しかけられたのだとは思わなかった。というよりも、まさか自分に話しかける物好きがいるとは思わなかったので、声を聞き逃してしまった。

「聞いているの?隣に座りたいのだけれど!?

耳元で怒鳴られ、危うく私は煙草を取り落とすところだった。

慌てて声のした方向を振り向くと、かの美女が立っていた。

「な、ななな……」

何の用か尋ねようにも、声が上ずってうまく喋ることができない。

先ほど怒鳴られたのと、美女が目の前に立って、しかも自分に話しかけているという状況が、混乱に拍車をかけているな、と冷静に分析している私。

「返事がないようだから、了承と受け取らせていただくわね」

こちらが返事をできないことを幸いに、隣の席へと腰掛ける美女。

とりあえず気持ちを落ち着かせようと、私はいつの間にか卓の上に置かれていたグラスに手を伸ばした。

そのまま一気に飲み干す。

のどが焼けるように熱くなったが、そのおかげで少し冷静になった。――そもそもこの女性は誰なのだ?いや、こちらの非礼を詫びるほうが先か。

「気が付かなくてすみません。少し呆、としていたもので……」

「かまわないわ。こちらが勝手に声をかけたのだもの。むしろ、謝るのは私の方よ。急に大声を出したりなんかして」

見かけによらず顕著な女性である。思わず感心してしまった。

「別に顕著なわけじゃなくて、当然のことを言っただけよ」

「はぁっ!?」

またもや煙草を落とすところだった。

「何で考えたことがわかるかって言うのはナシよ。貴方の顔にでかでかと書いてあるもの」

「…………………………」

考えたことがそれほど表情に出ていたのだろうか。間抜けとしか言いようがなく、頭を抱えてしまった。少なからず動揺してしまったことが恨めしい。

「貴方って、ほんと面白い人ね」

笑われてしまった。

「私に何か御用ですか?」

名誉を挽回すべく、努めて真面目に尋ねた。

「別に……。何か用があったわけじゃないわ。暇だっただけ。……迷惑?」

「いえ、私は一向に構いませんが」

事実、こうして美人と話せるのは嬉しいのだが。

「ならOKでしょ?」

「はぁ」

「あぁ、もう!煮え切らない奴ね!こんな美人が話しかけているんだから、少しは楽しそうにしたらどうなの!?」

失敬な!美人の前だからこそ、動揺しているのだ。

「そうなの?それなら悪い気はしないけど」

――しまった。どうやら口に出してしまったらしい。

気まずいので、とりあえず黙っておくことにする。……喋らなければ間違いも起こらないだろう。

それにしても――

「何も黙らなくてもいいでしょ」

――こんな美女と席を共にしている私は、はたして果報者なのだろうか。

「まあいいわ。こちらは勝手に喋らせてもらうから。……明峰宗司さん?」

「ぶっ!」

ちょっと待て。今、この女は何を言った?

「……なんで私の名前を知っているんだ、君は!?」

「あら、意外と勘がいいのね?」

クスクスと笑っている彼女。この女、一体何者なのだ?

「自己紹介させてもらうわね。私は皇卿子(すべらぎ きょうこ)。これでも一応は探偵よ」

「探……偵……?」

「そう、そして魔術師という存在でもあるわ」

「はぁ?」

もう何がなんだかわからない。一体何を言っているんだ、この女――皇卿子は!

「……訳がわからなくて混乱している顔ね」

私の反応が期待通りではなかったのか、多少むっとしながら彼女は言った。

「でも本当に混乱しているのは私たちのほうよ!」

「それはどういう――」

どういう意味だと言おうとしたが、できなかった。それほどに彼女の表情は真剣だった。

「ここにはね、『人払いの呪文』をかけてあるの。それもかなり強力なやつをね。

普通の人間にはここに入ってくることができるはずはないわ。……神の加護を受けたもの――神父や聖騎士、もしくは私のような強力な魔術師じゃない限り!」

彼女の言葉と同時に、私の目の前に蒼い炎が出現した。それは徐々に私に近づいてくる。

「なっ!!」

後ろに下がろうとした。……が、できない。体がまったく言うことを聞かないのだ。

「答えなさい。貴方は一体何者なの?炎の大公『ベアルファレス』の名を関する私の魔術をほんの少しでも防御することのできる貴方は!」

そういいながら卿子は立ち上がった。そして私を睥睨している。

炎はもう目の前まで来ていた。熱くはない。が、人間としての無意識的な恐怖がそこにはある。理屈などではない。

そう、理屈などではないのだ。自らに害をなすもの――蒼い炎が近づいているという、この状態こそが潜在的な恐怖そのものに帰結する。

「答えなさい!」

「やめろぉぉぉぉぉっ!!」

思わず炎を手で叩く。

「えっ?」

間の抜けたような、女の声。

私は手で払っただけだ。ただそれだけで眼前の炎は消失した。

「嘘よ……。触れたものをことごとく燃“消”させる「虚滅の炎」が……術者の意思を関係なしに消失する?……悪夢だわ」

眩暈でも催したかのようによろける。

「あ、貴方は一体何者なの?」

ひどく失礼な言われようだ。しかも人を化け物でも見るような目で見てくる。

「貴女こそ一体何なのですか!?人を変な目で見て。挙句には人を手品か何かで驚かせて!

……そうだ!タチの悪い冗談なのでしょう?急に話しかけてきたりしたのも私をからかうことが目的だったんじゃないんですか!?」

そう思うと腹が立ってきた。

女性に対しては紳士に振舞うことを心に決めている私だが、今回は流石に頭に血がのぼってしまった。会社をリストラされ、自棄酒を飲もうと立ち寄ったバーでは変な輩にからかわれたるハメになったのだ。

「くそっ!気分が悪い!!」

八つ当たり気味に壁を殴りつける。

私の腕が痛むが、この女を殴るよりはましだろう。

新しいタバコに火をつけ、私はバーを後にした。

「嘘よ……。結界張ったのに……」

放心状態の(いや、こっちを見て何かを呟いている)皇卿子を残して。

 

――思えば、これが――ケチのつけ始めという――最大の不幸だったのかもしれない。

 

あくまでも後のことも考慮に入れて、なのだが……。






序章 了



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