月奇門

金剛之章

「何となく」生きている少年、黒井夜(くろい よる)。
静かな夜の空気に包まれながら、彼は少女と出会った。

序幕 : 月下、少女

第一幕 : A Day by Today...1

御影之章

ごく普通の社会人、明峰宗司(あけみね そうじ)。
一人の女性と出会ったせいで、彼の人生は一転する。
日常と引き換えに得たものは苦労、金、人生の伴侶 !?

序幕 : 人生転換期

第一幕 : 就職は如何?


朝。窓の外では鳥が鳴いている。

別段変わったことは何もなく、それが返って不安を煽る目覚め。

時計の針は六時ちょうどを指していた。

とくにすることはないので、着替えて食堂に行くことにした。

やたらと長い廊下を歩き、やたらと広い階段を下り、無意味に大きい食堂に着いた。

たったそれだけの行動でも、誰かに見張られているようで落ち着かない。警備のための監視カメラがあるが、そのせいだけでもないと、僕は思う。

ここは空気が違い過ぎるのだ。

両親が事故であっけなく逝き、この叔父の屋敷に住むようになって四ヶ月。未だここの空気には慣れない。今までの狭いマンション生活からいきなり屋敷住まいになったことが、僕にとって、どれだけの負担になっているかは言うまでもないだろう。

叔父は優しく、叔母も優しい。僕を実の子供みたいに扱ってくれる。また、親戚が何人も居候しており、みんな仲も良い。恵まれた生活といえばそうかもしれないが、僕と彼らの間には絶対的な溝が存在する。

 

――ボクハニンゲンジャナイ。

 

一体いつからそう言い続けてきたのだろう。

僕と、父さんと、母さんと、たった三人だけの秘密。

昔からどこか人と違う自分を感じていた。決定的だったのは六年前の夏だっただろうか。

……いや、あのことを考えるのはよそう。母さんには忘れなさいって言われたし。

ともかく、僕はヒトにはないヘンな力があったりする。

ここの人たちは見る限りにおいては普通の人間だ。僕みたいな怪物じゃない。それが「溝」の正体。

思わず笑ってしまった。そのとき、声をかけられた。

「やあ、夜君。何かいいことでもあったのかい?」

親戚の一人、明峰宗司(あけみね そうじ)さんだ。先々週、会社を辞めたそうだが、すぐに別の職場が見つかったそうだ。明るく、楽しい人で、いつも着ている背広が紳士的な雰囲気をかもし出している。かなりのヘビースモーカーなのが玉にキズか。

宗司さん、おはようございます」

「おはよう。……まだ、こっちの生活には慣れないようだね」

なかなか勘の鋭い人だ。そういえば、今度の職業は探偵助手だったっけ。

「ええ。両親のことがまだ頭から離れなくて」

「……そうか。こういうことには首を突っ込める立場じゃないし、君を勇気付けることも出来ない。私はカウンセラーではないからね。でも、正直言って、今の君の姿は痛々しい」

悲しそうな目をされても僕は困ってしまう。だけど、その心遣いは嬉しかった。とても。涙が出そうなくらい。

「大丈夫です。心配しないでください。こう見えても人よりは強いんです、僕」

事実、普通の人間よりも肉体的には強かったりする。もっとも、心は人一倍弱いのかもしれないけど。

「夜君、くれぐれも無茶だけはするなよ。悩みは一人で抱えていても自重を増すだけだ。私でよければ相談にも乗るから」

「いえ、本当に大丈夫なんです。忘れることは出来ませんが、気持ちの整理だけはつきました。……正直言うと、この屋敷がすごいから、そのせいかもしれませんね。事実は小説よりも奇なりって言葉、初めて実感できましたよ」

僕の体のほうが『小説より奇なり』ではあるけど。

宗司さんはクスクスと笑いながら、言った。

「確かにね。うん、確かにここは夢物語の再現だ。……ねぇ、冨澤さん」

「そうですね。それよりもお二方、食堂で立ち話なんてしないでくださいな。朝食でしたら、そこの呼び鈴を押してくだされば、すぐにでも用意しますのに」

そんなことを言いながら、この屋敷のメイド長、冨澤桐乃(とみさわ きりの)が歩いてきた。30代半ばの女性だが、柔和でしとやかな雰囲気が、彼女をまだ20代のように見せている。知り合いが英国人だとかで、その立ち振る舞いは、英国貴婦人のように精錬されたものがある。

ちなみにこの屋敷には十人のメイドさんと、一人の老執事、合計十一人の使用人がいる。その中には、孤児院から引き取られてきた子や、外国でストリートファイト(!?)に明け暮れていた人もいるそうだ。こんなことを解説している僕自身、あまりのスケールに、すごく驚いたのだけれど。

「冨澤さん、朝食は自分で作ります」

「いけませんよ、夜君。そんなことをされては。私が当主さまに怒られてしまいます」

「すみません。でも、自分のことぐらい自分でしてないと、どうも落ち着かなくて」

「しかし……」

断っておくが、富沢さんの料理の腕は決して下手ではない。むしろ、今まで食べたどんな店の料理よりもおいしい。そのことはこの四ヶ月でよくわかっている。

それでも、誰かに朝食を作ってもらったことのない僕としては、どうしても譲れないものだった。

不毛な言い争いになろうとしていたとき、宗司さんが助け舟を出してくれた。

「いいじゃないですか。ここにいると、生活能力がなくなってしまいます。伯父さんには私の方から言っておきましょう」

冨澤さんはしばらく黙っていたが、ふう、とため息をつき、言った。

「もう、二人して私をいじめるんですもの。……仕方ありませんわ。その代わり、朝食だけにしてくださいね」

「すみません」

僕は深々と頭を下げた。

 

朝食を食べた後、僕は学校に向かっていた。

いつもひと気のない通学路。静かにたたずむ無機質な建物の数々。

部活に入っていない生徒から見れば早すぎ、部活の朝連組から見ればやや遅い、そんな時間帯。

「お〜い、よるっち〜!」

まあ、何事にも例外だとかイレギュラーだとかいうものはあるけど。

「よるっち〜、会いたかったよ〜」

「昨日会ったばかりだと思うけど」

いきなり背中に飛び乗ってきた同級生、前川千里(まえかわ ちさと)を振り落とそうとするが、出来なかった。相変わらずおそろしい吸着力だ。そして、相変わらずの珍妙な性格だ。黙っていれば、清楚で可憐なお嬢様だろうに。

「にょほほ〜。振り落とそうったって、そうは問屋が卸しませ〜ん」

わけのわからないことを言いつつ、僕の肩にあごを乗せてくる。はっきり言って恥ずかしい。それに、重い。

彼女――前川千里は、転校初日にいじめられているところを見かけ、僕が助けた子である。いや、いじめというレベルではなく、ほとんど集団リンチに近いものだった。彼女一人を五、六人の男が取り囲み、何事かを言っていた(ああいう奴らの言葉は要領を得ないので聞き取りづらい)。

一対多数では勝てるはずがないので、やむなく力を発動させ、全員を気絶させたのだが、それ以来千里が妙になついてくるし、生徒からは番長呼ばわりされるし、教師からは一目置かれるし、あまりうれしくはない。だって、僕は普通の生徒でいたかったんだから。

「前川さん、重いんだけど」

「あ〜、よるっちしつれいだよぅ。レディーに対して『重い』だなんて〜」

なんだか頭が重くなってきた。このまま倒れてしまえば、僕は楽になれるのだろうか。さようなら現実さん、さようなら日常くん。

「倒れようとしても無駄だよ〜。千里は一度くっつくと、ちょっとやそっとじゃ離れないんだよ〜」

ちょっとやそっとで離れてください。お願いしますから。

「ぎゅ〜」

神さま、前川さんは女の子ではないのでしょうか。

汗と涙をたらしながら僕は歩いている。千里は爽快に笑いながら僕の背中に憑いている。

「あはっ、よるっち力持ちだよ〜」

「ぜひっ、ぜひっ、ひゅー。ぜひっ、ぜひっ、ひゅー」

もはや息が切れて声も出なかったりする。

「あっ、校門が見えたよ〜」

やっとこの地獄の責め具から開放されるのだろうか。

校門から入り、下駄箱へ向かうまでの道のりが果てしなく遠い。しかも、朝連やっている人たちからの奇異の視線がつらい。

「ラストスパートォ!」

貴女は僕に死ねというのでしょうか。

でも、そうしないと降りてくれそうにないので、全速力で走った。多少力も使ったので、驚くほど速かったと思う。……後で陸上部からの勧誘が来なければいいけれど。

とりあえず下駄箱にたどり着いた。すると、あっさりと千里が背中から降りた。もっとも、いつものことではあるが。

「えへへ〜。よるっち、ありがとさんだよ〜」

「僕は自由……だ……」

人一人を背負って登校した上、昼間に力を使ったせいもあり、僕の意識はあっさりと暗転した。これも、いつものことである。

千里の驚いた声が聞こえるが、これもいつものことだ。

日常。






第一章 了



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